【確定】誰が記事を書いたかをGoogleはランキング要因にしていない、もう一度ジョン・ミューラーに質問してみた。

[レベル: 中級]

GoogleのJohn Mueller(ジョン・ミューラー)氏によれば、記事がだれによって書かれたかをGoogleは認識しておらず、コンテンツ品質の評価要因にもしていないとのことでした。

とはいえ、僕の質問の仕方がよくなかったせいか、コピーコンテンツの判断をGoogleは上手にできるという話がメインになってしまっていました。

そこで、先週のオフィスアワーでもう一度、今度はもっと明確に、コンテンツ著者がだれなのかをGoogleは本当にランキング要因にしていないのかをジョンに尋ねてみました。

結論を一言で言えば、やはりコンテンツ著者が誰であるかをGoogleはランキング要因にはしていません

その理由をジョンは次のように説明してくれました。

Googleはなぜコンテンツ著者を見ていないのか?

僕からの質問です。

前回、だれが記事を書いたかをGoogleは本当にはわかっていないと言いました。それはつまり、だれがコンテンツを作ったかはランキング要因ではないということですか?

ダニー・サリヴァンはすばらしいコンテンツ著者です。もし僕のブログに彼が寄稿したとしたら、その記事は彼によって書かれたものだからきっとすばらしい記事に違いないとGoogleは考えたりはしないのですか?

ジョンからの回答です。

たぶん、(ダニー・サリヴァンが書いたということは)わからないのではないだろうか。

どういうことかというと、その記事が優れていたとしても、それは、リンクのように、ほかの人に勧めることに関係してくるユーザーからのある種のフィードバックにもとづいて、その記事自身の評価から本質的に上位表示するだろうということだ。

だが、名前がよく知られた著者がだれかほかの人のサイトでコンテンツを発行したからといって、ただそれだけの理由でそのブログ記事が本当に関連性が高いと無条件でなることはない。

完全に無作為に選んだブログにダニー・サリヴァンが何かを投稿しても、それが彼によるものだとは私たちは認識しないだろうし、ユーザーも彼によるものだとは認識しないだろう。だれによるものかは結局わからなくなってしまう。

また、ある人が書いたからといって、その記事の品質が常に本当に高いとは必ずしも限らない。だから、もし仮にダニー・サリヴァンの著者情報のマークアップがそのページに記述されていたからといって、とたんにその記事が本当に価値があるものだと想定するべきではないし、上位表示させるべきでもない。

こうした観点から、人々によって書かれた記事というものは(著者がだれかということによるのではなく)その記事自体の評価でGoogle検索で表示される力がなければならない。

Googleではなく訪問者に信頼してもらえるようになる

ということで、Googleはそのコンテンツがだれによって作られたのかどうかを見ていません。
ランキング要因にもしていません。

少し残念に思います。
コンテンツを掲載しているサイトでなく、コンテンツを作った著者を対象にして評価してもらえるとしたら、一個人としてコンテンツを発行している身には嬉しいことです。

2011年のSMX Advancedで、米Googleのサーチクオリティチームに当時所属していたMatt Cutts(マット・カッツ)氏は次のように言っていました。

(著者情報プログラムが)個人のPageRankとも言うべき「Author Rank」になればいい。将来的には、質の高い記事を書く著者のコンテンツを高く評価できるようにしたい。

結局、著者情報プログラムは廃止されてしまいました。

著者情報プログラムなしでも、著者を評価する取り組みは続いているのかと期待していたのですが、少なくとも実現には至っていないようです。

ただ、ジョンの説明にも納得がいく部分はあります。
僕が書いた記事がいつも100%絶対に高品質だという保証はありません(そうなるように常に書いてますよ!)。
仮に、僕が手を抜いて書いた記事があったとして、それも無条件に高品質だと判断してしまうことは良いことではないですね。

だれが書いたかよりも、その記事(コンテンツ)そのもので評価するという考えは正しいように思います。

よくよく考えれば、個人としてGoogleに評価されるかどうかは些細なことです。
訪問者(あなた)に、この人(鈴木謙一)が書くことは信頼できるし役に立つとみなしてもらえるように、コンテンツを発行していくことがもっとずっと大切なことですよね。:)